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子供の頃に見たオートバイ。

 おらの父親は4?年の間に9台のクルマを乗り継ぎましたが、おらが
子供の頃、クルマ(それも普通車)がある家庭は珍しく、オートバイや
軽自動車が結構多かったように記憶しています。

 ちなみに、父の車歴はブルーバード3台・カローラ2台・カリーナ・
プリメーラ・マーチ・ティーダという具合でしたが、2台目のカローラ
以降、マーチまではほとんどおらのチョイスでした。
(最後のティーダはおらの知らないうちに買い換えられていました)

 と、話が脱線しそうなので、子供の頃に見かけたオートバイについて
箇条書きにしてみました。

1~父親の生家にはカワサキ・メグロの250がありました。
  (SG?)
2~隣のおじさんは丸いテールランプのカブに乗っていました。
  (CM90)
3~向かいのおじいさんはヤマハのビジネスバイクに乗っていました。
  (YB125?)
4~うどん屋のおじさんはヤマハメイトで出前を配達していました。
  (形式不明) 
5~ウチに居候していた母の弟は時々シルバーピジョンを借りてくる
  コトがありました。
  (形式不明)
6~近所にあった大会社の独身寮の駐輪場にはCL250やZ50Mが
  置いてあり、その当時は出入り自由でした。
  (ココでオートバイを盗んで捕まったヤツがいたような・・)
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おらとSちゃん

 おらとSちゃんは隣同士の中学で同じ高校に通っており、通学に使う
市バスの中で姿を見かける程度の関係だったのですが、免許の取れない
15歳のおらがケッタでウロウロしていたある日、GT50で走る彼の
姿を見てから、市バスの中で話すようになったのです。
(ちなみに、Sちゃんは6月生まれでおらは10月生まれです)

 そして、おらが原付の免許を取り、CD50Mを手に入れる少し前に
彼のGT50に乗せてもらった時、ステムの下に取り付けられていた
ミュージックホーンのステーを折ってしまい、それを直すため彼の自宅
を初めてお邪魔したのですが、玄関先にはGT50だけではなく、CB
550Fとダックス70が置いてあり、オートバイに理解のある父親の
もとで育った彼の恵まれた環境を羨ましく思ったのでした。
(ちなみに、CB550Fは彼の父親が雇っていた従業員用?でした)

 おら達が16歳になった当時は、大型自動二輪の免許を取ることがほ
とんど不可能な時代だったため、おらと同様自動車学校で中型自動二輪
の免許を取ったSちゃん宅のCB550Fは400Fに買い換えられ、
彼自身が乗りまわすコトになったのですが、おらがシビエのオートバイ
用ヘッドライトやヨシムラの集合管を初めて見たのは、この400Fに
取り付けられていたモノでした。

 また、前述のダックス70も同じ頃50のスポーツ2に買い換えられ
ていましたが、コイツには早矢仕で販売されていたSL70用マフラー
が取り付けられていたり、あちこちのパーツが交換されておりました。
(このダックスの画像はおらのサイトにアップされております)

 その後、自動車の免許を取り、おらはオートバイとの縁が遠くなって
いったのですが、Sちゃんの場合は400FがホークⅢに買い換えられ
たり、ダックスがチャピィ80に買い換えられ、クルマとオートバイの
両刀遣い?のような日々を送っていたのでした。
(おらがこのチャピィ80を長期借用していた話は既出の通りです)

 ちなみに、Sちゃんは大学の自動車部でラリーやダートラの世界に首
を突っ込みかけていたおらの影響を受けたのか、派手なカラーリングの
初代ランサーに乗っていたり、CR-XやシビックのSiに乗っていた
時期もありましたが、その間もCBX400Fでツーリングに行ったり、
YSR80でワンメイクレースに出たりしていました。

 かくして、Sちゃんのオートバイ歴は40年以上となるワケですが、
おらの知る限り、彼はおらと違ってオートバイで事故ったコトはなく、
派手にコケた話すら聞いたコトがないので、おらが2台のモンキーを
手に入れ「VM-RUN」という名のプチツーリングに参加するコトに
なった時、おらの保有する2台のどちらかで参加してもらおうと考えた
のは、彼のライディングなら大丈夫だと思ったからなのです。
(最近のVM-RUNでは「動画撮影係」として大活躍しております)

 今もSちゃんは2台のスクーターを保有し、天気のイイ休日は奥様と
愛犬(チワワのバニラ君)を乗せ、あちこちを走り回っているのですが、
いつまでも安全で幸せなオートバイライフを送っていただけたらと思う
型番野郎でございます。 

おらの周りのモンキー乗り

 前述の通り、高校時代のおらの周囲には何人ものモンキー乗りがいた
のですが、おらの通っていた高校はお金持ちの御子息が多く、早矢仕で
思いっきり手を入れた(お金をかけた)仕様の4Lに乗っていた一方、
おらの地元では中学時代の同級生の1人がお金持ちの御子息仕様?に
乗っていただけで、その他大勢はノーマルに毛が生えた程度のいぢり方
しかデキない奴等ばかりでした。

 おらはそういう奴等に加担し、GT80を購入した自転車屋さんで
自転車の曲がったペダルを修正するのに使う鉄パイプをベースにした
特殊工具?で純正のハンドルを絞る手伝いをしたり、金ノコを使って
テール台に切り込みを入れ、折り曲げてテールを詰める方法を試した
りしていたのです。
(この方法は失敗で、振動により折り目からチギれてしまいました)

 また、お金持ちの御子息ではなかった高校の同級生は、中古のDAX
70エンジン(4速・クラッチ付)にエンジンを換装した4Lに乗って
いましたが、大型ゴミ回収場所でゲットした?SS50のエンジンは、
週末にCD50Mでこの同級生の部屋に運び込まれ、夜中に2人でバラ
バラに分解されたのでした。
(しかし、肝心の5速ミッションはギヤが欠けまくっていました)

 このもう少し前、バイト先のゴルフ練習場で一緒だった年上の先輩は
ポポグリーンの4Lを新車で購入し、免許のないケッタ(自転車のこと)
通いのおら達後輩を尻目に、得意げにバイト先に乗りつけていたのです
が、免許証を落としてしまったせいで、ケッタ通いに戻った背景には、
大きな声では云えない事情があったりしたのでした。
(この当時、原付乗りの少年はしょっちゅう職務質問を受けました)

 他にも大きな声では云えないネタがいくつかありますが、若気の至り
というコトで、割愛させていただきたく思います。

その後のおらとオートバイ(その弐)

 自動車の免許を取り、かろうじて入学できた私立大学へ通うのに父親
のクルマを使い始めたおらは、学校へ行っているのか遊びに行っている
のか分からない生活をスタートし、その足は当然のコトながらクルマで
あったのですが、給油は父親の行きつけのガソリンスタンドでサインを
するだけで、代金を自分で支払うワケではなく、月末に父親が支払って
おりました。

 そんなある日、ガソリン代が高すぎるコトについて父親から叱責を受
けたおらは、またしても友人達のオートバイを借りまくり、天気のイイ
日は極力オートバイで行動する生活を始めるコトにしたのでした。

 この頃借りたのは、就職した同級生のロードパル(初代)や、大学の
後輩の早矢仕チューン(85cc)のモンキーや、今もVM-RUNで
代行運転手を務めていただいている同級生のSちゃんのチャピィ80で、
このチャピィ80に2人乗りをして鈴鹿8耐を見に行ったのも、この頃
だったと記憶しています。
(Sちゃんとの腐れ縁につきましては、後日お話ししたいと思います)

 そんなこんなで大学を卒業し、とりあえず就職はしたのですが、80
年代に入り、オートバイブームがやって来た頃のおらは、スターレット
(KP61)の改造になけなしの給料をほとんど注ぎ込んでおり、オー
トバイ乗りの友人達と日帰りツーリングに行くため、レンタルバイクを
2回ほど借りたのと、高校時代の同級生が乗っていたVT250(初代)
をひと月ほど借りた程度で、その後オートバイとの縁は遠のいていった
のでした。
(レンタルバイクは初代CBR400FとZ400GP?でした)

 ということで、おら自身のコトはこのあたりで終わろうかと・・。

その後のおらとオートバイ(その壱)

 父親が発令したのは「バイク購入禁止令」であり、バイクに乗っては
いけないというコトではなかったのを逆手に取ったおらは、友人達から
次々とオートバイを借りまくるという生活をスタートしました。

 もちろん、CD50Mに乗っていた頃も友人達のオートバイを借りる
コトはありましたが、せいぜい2~3日程度で、この時期は短くても1
週間、長ければ1ヶ月ぐらいだったと記憶しています。

 先輩のZ50ZK1は、どんなチューニングがしてあったかはっきり
覚えていませんが結構速かったような記憶ですし、同級生のGT50
(後期型)はGT80のコトを思い出し、ちょっぴり切ない思いをした
ような、しないような・・。

 挙げ句の果てに、両親には「トラックに乗せてってもらう」とウソを
言い、前述のGT80を引き取ってもらった友人のGT380で夏休み
を使って新潟の柏崎市まで行ったりしていました。
(ちなみに、第2ライダーのおらは晴れている時だけの担当でした)

 そんなこんなでおらは18歳になった年の瀬に自動車の免許を取り、
同級生のKH125に乗せてもらい地元の警察署に免許証を貰いに行く
途中でクルマとぶつかってしまい、しばらくの間病院通いをすることに
なったのですが、このKH125を借りていたその前日、おらは初めて
スピード違反で捕まり、後日「免許停止」の処分を喰らったのでした。
(当然のことながら、未成年だったので「家裁」にも行きました)