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チェーンをキレイに。

今日はレーシングワールドの駐車場にD.I.Dさんが出店しており、
無料でチェーンのメンテができるとのコトだったので、弐号機の
チェーンをお掃除させていただきました。



彼等が持参していたレーシングスタンドは、モンキーにギリギリ
使えるサイズのモノだったので、少しだけ手間がかかりましたが、
2人のスタッフからレクチャーを受け、何とか作業を終えるコトが
できました。



クリーナーやらスプレー式のグリス等、必要なモノは整っており、
作業自体は自分でするのですが、作業の間に2人のスタッフと
興味深い会話をするコトができました。



ということで、2人のスタッフに感謝っ!
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ちょっと前に

名古屋の中心から少し離れた八事のホテルのレストランで
ディナーとシャレこんだ型番野郎夫妻でございます。



この日は平日だったせいもあり、ほとんど貸し切り状態で
優雅なひとときを過ごすことができました。





でも、1本のワインの半分以上を1人で飲んでしまったので、
帰りは結構イイ感じに酔っぱらってしまいました。

エンジン換装

今日は朝からすき家の「たまごかけごはん朝食」で腹ごしらえをし、
いつもの駐車場で参号機のエンジンを換装しました。
(こういう日は昼食を抜く覚悟で朝食をしっかり食べておくのです)




6Vエンジンに欠かせないポイント調整を済ませ、クラッチカバーを
組みつけ、遠心+4速ロータリーの動作確認ののち、旧エンジンの
オイルを抜き、ようやく換装作業の始まりです。



とりあえず、夕方までには作業を終え、何とか走ることはできたの
ですが、まだまだ完成とは云えない状態です。


 
さあ、そろそろ風呂に入って、一杯飲んで・・・。(以下省略)

おらとSちゃん

 おらとSちゃんは隣同士の中学で同じ高校に通っており、通学に使う
市バスの中で姿を見かける程度の関係だったのですが、免許の取れない
15歳のおらがケッタでウロウロしていたある日、GT50で走る彼の
姿を見てから、市バスの中で話すようになったのです。
(ちなみに、Sちゃんは6月生まれでおらは10月生まれです)

 そして、おらが原付の免許を取り、CD50Mを手に入れる少し前に
彼のGT50に乗せてもらった時、ステムの下に取り付けられていた
ミュージックホーンのステーを折ってしまい、それを直すため彼の自宅
を初めてお邪魔したのですが、玄関先にはGT50だけではなく、CB
550Fとダックス70が置いてあり、オートバイに理解のある父親の
もとで育った彼の恵まれた環境を羨ましく思ったのでした。
(ちなみに、CB550Fは彼の父親が雇っていた従業員用?でした)

 おら達が16歳になった当時は、大型自動二輪の免許を取ることがほ
とんど不可能な時代だったため、おらと同様自動車学校で中型自動二輪
の免許を取ったSちゃん宅のCB550Fは400Fに買い換えられ、
彼自身が乗りまわすコトになったのですが、おらがシビエのオートバイ
用ヘッドライトやヨシムラの集合管を初めて見たのは、この400Fに
取り付けられていたモノでした。

 また、前述のダックス70も同じ頃50のスポーツ2に買い換えられ
ていましたが、コイツには早矢仕で販売されていたSL70用マフラー
が取り付けられていたり、あちこちのパーツが交換されておりました。
(このダックスの画像はおらのサイトにアップされております)

 その後、自動車の免許を取り、おらはオートバイとの縁が遠くなって
いったのですが、Sちゃんの場合は400FがホークⅢに買い換えられ
たり、ダックスがチャピィ80に買い換えられ、クルマとオートバイの
両刀遣い?のような日々を送っていたのでした。
(おらがこのチャピィ80を長期借用していた話は既出の通りです)

 ちなみに、Sちゃんは大学の自動車部でラリーやダートラの世界に首
を突っ込みかけていたおらの影響を受けたのか、派手なカラーリングの
初代ランサーに乗っていたり、CR-XやシビックのSiに乗っていた
時期もありましたが、その間もCBX400Fでツーリングに行ったり、
YSR80でワンメイクレースに出たりしていました。

 かくして、Sちゃんのオートバイ歴は40年以上となるワケですが、
おらの知る限り、彼はおらと違ってオートバイで事故ったコトはなく、
派手にコケた話すら聞いたコトがないので、おらが2台のモンキーを
手に入れ「VM-RUN」という名のプチツーリングに参加するコトに
なった時、おらの保有する2台のどちらかで参加してもらおうと考えた
のは、彼のライディングなら大丈夫だと思ったからなのです。
(最近のVM-RUNでは「動画撮影係」として大活躍しております)

 今もSちゃんは2台のスクーターを保有し、天気のイイ休日は奥様と
愛犬(チワワのバニラ君)を乗せ、あちこちを走り回っているのですが、
いつまでも安全で幸せなオートバイライフを送っていただけたらと思う
型番野郎でございます。 

おらの周りのモンキー乗り

 前述の通り、高校時代のおらの周囲には何人ものモンキー乗りがいた
のですが、おらの通っていた高校はお金持ちの御子息が多く、早矢仕で
思いっきり手を入れた(お金をかけた)仕様の4Lに乗っていた一方、
おらの地元では中学時代の同級生の1人がお金持ちの御子息仕様?に
乗っていただけで、その他大勢はノーマルに毛が生えた程度のいぢり方
しかデキない奴等ばかりでした。

 おらはそういう奴等に加担し、GT80を購入した自転車屋さんで
自転車の曲がったペダルを修正するのに使う鉄パイプをベースにした
特殊工具?で純正のハンドルを絞る手伝いをしたり、金ノコを使って
テール台に切り込みを入れ、折り曲げてテールを詰める方法を試した
りしていたのです。
(この方法は失敗で、振動により折り目からチギれてしまいました)

 また、お金持ちの御子息ではなかった高校の同級生は、中古のDAX
70エンジン(4速・クラッチ付)にエンジンを換装した4Lに乗って
いましたが、大型ゴミ回収場所でゲットした?SS50のエンジンは、
週末にCD50Mでこの同級生の部屋に運び込まれ、夜中に2人でバラ
バラに分解されたのでした。
(しかし、肝心の5速ミッションはギヤが欠けまくっていました)

 このもう少し前、バイト先のゴルフ練習場で一緒だった年上の先輩は
ポポグリーンの4Lを新車で購入し、免許のないケッタ(自転車のこと)
通いのおら達後輩を尻目に、得意げにバイト先に乗りつけていたのです
が、免許証を落としてしまったせいで、ケッタ通いに戻った背景には、
大きな声では云えない事情があったりしたのでした。
(この当時、原付乗りの少年はしょっちゅう職務質問を受けました)

 他にも大きな声では云えないネタがいくつかありますが、若気の至り
というコトで、割愛させていただきたく思います。

その後のおらとオートバイ(その弐)

 自動車の免許を取り、かろうじて入学できた私立大学へ通うのに父親
のクルマを使い始めたおらは、学校へ行っているのか遊びに行っている
のか分からない生活をスタートし、その足は当然のコトながらクルマで
あったのですが、給油は父親の行きつけのガソリンスタンドでサインを
するだけで、代金を自分で支払うワケではなく、月末に父親が支払って
おりました。

 そんなある日、ガソリン代が高すぎるコトについて父親から叱責を受
けたおらは、またしても友人達のオートバイを借りまくり、天気のイイ
日は極力オートバイで行動する生活を始めるコトにしたのでした。

 この頃借りたのは、就職した同級生のロードパル(初代)や、大学の
後輩の早矢仕チューン(85cc)のモンキーや、今もVM-RUNで
代行運転手を務めていただいている同級生のSちゃんのチャピィ80で、
このチャピィ80に2人乗りをして鈴鹿8耐を見に行ったのも、この頃
だったと記憶しています。
(Sちゃんとの腐れ縁につきましては、後日お話ししたいと思います)

 そんなこんなで大学を卒業し、とりあえず就職はしたのですが、80
年代に入り、オートバイブームがやって来た頃のおらは、スターレット
(KP61)の改造になけなしの給料をほとんど注ぎ込んでおり、オー
トバイ乗りの友人達と日帰りツーリングに行くため、レンタルバイクを
2回ほど借りたのと、高校時代の同級生が乗っていたVT250(初代)
をひと月ほど借りた程度で、その後オートバイとの縁は遠のいていった
のでした。
(レンタルバイクは初代CBR400FとZ400GP?でした)

 ということで、おら自身のコトはこのあたりで終わろうかと・・。

その後のおらとオートバイ(その壱)

 父親が発令したのは「バイク購入禁止令」であり、バイクに乗っては
いけないというコトではなかったのを逆手に取ったおらは、友人達から
次々とオートバイを借りまくるという生活をスタートしました。

 もちろん、CD50Mに乗っていた頃も友人達のオートバイを借りる
コトはありましたが、せいぜい2~3日程度で、この時期は短くても1
週間、長ければ1ヶ月ぐらいだったと記憶しています。

 先輩のZ50ZK1は、どんなチューニングがしてあったかはっきり
覚えていませんが結構速かったような記憶ですし、同級生のGT50
(後期型)はGT80のコトを思い出し、ちょっぴり切ない思いをした
ような、しないような・・。

 挙げ句の果てに、両親には「トラックに乗せてってもらう」とウソを
言い、前述のGT80を引き取ってもらった友人のGT380で夏休み
を使って新潟の柏崎市まで行ったりしていました。
(ちなみに、第2ライダーのおらは晴れている時だけの担当でした)

 そんなこんなでおらは18歳になった年の瀬に自動車の免許を取り、
同級生のKH125に乗せてもらい地元の警察署に免許証を貰いに行く
途中でクルマとぶつかってしまい、しばらくの間病院通いをすることに
なったのですが、このKH125を借りていたその前日、おらは初めて
スピード違反で捕まり、後日「免許停止」の処分を喰らったのでした。
(当然のことながら、未成年だったので「家裁」にも行きました)

GT80(その参)

 見た目はそこそこキレイになったGT80に、おらはさらなる軍資金を
投入し、いよいよ本格的な改造にとりかかるコトになりました。しかし、
今ならスプロケットを交換して走りやすくするのはアタリマエですが、
当時のおらはそこまで頭が回らないのに加え、純正の4速ミッションが
ダサいモノに思え、RD50等の5速ミッションに換装が可能なコトを
知ってからは「5速にすれば速くなるぞぉ~!」と考え、前述のヤマハ
系ショップに換装作業を依頼したのです。
(今考えてみると、贅沢なコトをしたんだなあと思います)

 同じ頃、Rショックを強化品に交換したコトにより、相対的に柔かさ
が気になってきたFフォークを購入先の自転車屋さんでOHしてもらい、
少しだけ粘度の高いオイルに交換してもらったのですが、スプリングを
強化したワケではないので抜本的な解決にはならず、FフォークをTY
50用に換装するコトを真剣に考え始めていました。
(社外品は存在しない時代なので、純正流用しか方法はありませんが)

 しかし、そのアイデアが実現するコトはなく、ツーリングでの転倒に
続くクルマとの衝突により、フレームまで逝ってしまったGT80は
遂に廃車となり、運転手のおらと同乗者の後輩(女の子)はケガをして
しまいました。そして、先方の保険会社からいただいた保険金でニュー
マシンを購入するのは厳しかったのと、父親から「バイク購入禁止令」
が発令されたため、そのお金で高級ラジカセ?を買ってしまいました。
(実際は、転倒時のケガを事故った際に治療したようなモノでした)

 ちなみに、事故車となったGT80はGT50に乗っていた同級生の
元でエンジン換装用のベース車にされ、黄色ナンバーで登録し直された
のですが、この友人も事故ってしまったのでした。
(購入から廃車まで約3ヶ月、走行距離については不明です)

GT80(その弐)

 この当時、かの有名な早矢仕モータースはやんちゃなモンキー乗りの
たまり場となっており、沢山の改造(純正流用?)パーツが販売されて
おり、今では考えられないコトですが、オヤジさんが店頭でお客さんの
マシンに改造パーツを組み込んだりしていたのです。

 そこには当然ながらGT80用のパーツは販売されておらず、おらは
他人のモンキーを見ていただけでしたが、この当時の早矢仕では、絞り
ハンドルに交換する際、上級車種のレバーホルダーを使ってZ2ミラーを
つけるのが流行っており、それを見たおらは「コレならデキそうだ」と
と考えたのです。

 GT80の前期型は古いモンキーみたくハンドルにレバーホルダーが
溶接されているので、ハンドルを違う車種のモノに交換し、レバー廻り
を何とかしてやろうと考え、ヤマハ車の改造パーツを取り扱っている店
をオートバイ雑誌で調べ、その店でGT80用のノグチ製Rショックを
購入したついでに、そのコトを相談してみました。
(純正のRショックは2人乗りをするには余りにも華奢な代物でした)

 その結果、スズキのミニクロというミニバイクのハンドルとDT系の
オフロード車のレバー廻りを使って、ワイヤーアウターの口金部分を
アジャスターが使えるように加工してもらい、何とかZ2ミラーを取り
つけるコトに成功したのですが、その際にレバーホルダーのネジ山を
ナメてしまい、補修用のタップを入手するため、工具を取り扱っていた
同級生(女の子)の親御さんのお世話になったのでした。
(あの時買ったM10のタップはどこへ行ってしまったんだろう?)

 こうして、GT80は徐々に手を加えられていったのですが、それに
伴う軍資金稼ぎは当然のコトとなり、相も変わらずバイトに明け暮れて
いた高校2年生のおらでした。

GT80(その壱)

 中型自動二輪の免許を取ったおらは、50cc以上のオートバイを
手に入れようと考えたのですが、なけなしの軍資金では大排気量車を
手に入れるコトは到底できないので、とりあえず、2人乗りができる
原付二種のミニバイクに照準を絞り、GT80・KM90・XE75あたりの
中古車を探しておりました。
(当時、ダックス70やシャリィ70には興味がありませんでした)

 そんなある日、おらは地元の中学校の横にある自転車屋さんの店頭に
置いてあったGT80を見つけました。以前からこの店のオヤジさんとは
面識があったので、早速売りモノかどうかを尋ねると「3万5千円で下取
ったばかりだから、いくらで売ろうかなぁ?」とのことでした。このGT80は、
前期型にしか存在しないブルーメタリックだったこともあり、何とかコイツ
を安く手に入れたいと思い、「現状渡しでイイから3万5千円で売って!」
と頼み込み、オヤジさんもこのビンボーな若者を哀れに思ったのか、
最低限のメンテナンスをしていただいた上で3万5千円という価格で
コイツを手に入れるコトになったのです。
(ちなみに、このお店は10年ほど前に廃業してしまいました)

 しかし、このGT80の前オーナーは趣味でモトクロスをしていた方
だったそうで、モトクロス場で足代わり?に使われていたため、転倒に
よりライトステー・ライトケース・チェンジペダルは変形し、ウインカーは
キズだらけ、シートベースにはクラックが入っていましたが、おらは
これらの部品を新品に交換するのに結構な出費を強いられました。
(もちろん、純正部品は件の自転車屋さん経由で購入しました)

 また、ウインカーレンズは昭和区の鶴舞にあった「中輪商会」という
用品店で購入した社外品のクリアレンズに交換しましたが、このお店は
のちに「南海部品名古屋店」となり、まあまあ流行っていたようですが、
近いうち(平成28年10月末)に閉店するようです。

 そして、クリアレンズの中に入れるオレンジ色の電球は、普通の電球
に絵の具の原液をコテコテに塗り、時間をかけて換装させたモノを使う
という、今では到底考えつかないコトをしたり、電球の周囲に反射鏡を
つければ明るくなるのではと考え、台所用のアルミテープを厚紙に貼り
付けたモノを作ったりという、ビンボーくさいコトをしておりました。
(おらの記憶では、黄色と赤色の絵の具を調合していたはずです)